はいきました。中東編第二弾でございます。
えっまだやるんですか?
やります。
第二弾ではイスラム国の誕生をテーマに書いていきます。
子ブッシュ政権が、イラクのフセイン政権を倒す
前回でも少し書きました”フセイン政権討伐”が、実はイスラム国誕生に大きくかかわっています。
パパブッシュと子ブッシュの違い
湾岸戦争時にて、パパブッシュ政権ではあえてフセイン政権を残しました。
それに対して子ブッシュはフセイン政権を倒してしまいます。
なぜ、子ブッシュ政権ではフセイン政権を倒してしまったのでしょう?
イケメンがないがしろにされてるから
長男の扱いがヒドイ
理由は二つあります。
湾岸戦争後、イラクが核兵器開発をしていないか、国連からの定期的な検査が入っていました。しかしある時期からイラクは、この検査を無視するようになりました。
裏では核兵器の開発をしているのではないかとの疑いがありました。これが一つ目の理由出す。ただ、これは疑惑でしかありませんでした。
イラクに、”パパブッシュ大統領への暗殺未遂”があったことです。
子ブッシュ大統領はどうしても 父の暗殺未遂が 許せなかったのです。
これが、子ブッシュ政権がフセイン政権を倒したかった最も大きな理由です。
子ブッシュ政権は、フセイン政権を倒すリスクをないがしろにした?
子ブッシュ政権は、パパブッシュがフセイン政権を倒さなかった理由を、あまり考えていませんでした。
また子ブッシュ大統領は、「ドイツや日本みたいに、軍事独裁だった国を打ち破ったら、勝手に民主主義の国になる」と思っていたようです。
子ブッシュは、フセイン政権を 倒せば丸く収まると、安易に考えていたんですね
でも元々ドイツにはワイマール憲法があったし、日本にも大正デモクラシー以降普通選挙権もありました。
だから日本やドイツの民主化への移行は、スムーズにいったのです。
というわけで、
結局、子ブッシュはフセイン政権を倒してしまいます。
その後イラクはどうなったんてすか?
イラク国内は、混乱しました。
アメリカは何もしなかったのですか?
アメリカなりに対策はしました。
実はフセイン政権を倒したあと、イラク統治のための人材を、アメリカから送ろうと考えていたんです。
湾岸戦争後のイラク国内での様子
さてここで問題です。
ブッシュ政権からは、どんな人材がイラクに送られたのでしょう?
イケメンしかいない!イケメンは正義!
外見で選びませんよね?ふつうは
信頼できる長男!!!
なんか、長男にコンプレックスでもあるんですか?
実際送られた人達は、ブッシュ大統領が当選した選挙の際に、応援してくれたひとやお金を出してくれた人達でした。
これによって、どんな問題が起こったのでしょう?
イラク国民は英語ができない?
イラクをはじめ中東の国々は、
- 「国王による統治」
- 「クーデターによる軍事独裁政権」
しか知りません。
逆にブッシュ政権から派遣された人たちは、ブッシュ大統領と同じテキサス出身で、生まれてこの方アメリカから出たことない人が多かったようです。
その為、彼らはアラビア語やアラブ世界の知識など全く持ち合わせてはいなかったのです。
イラクに送られたアメリカ兵達も、世界中の人々は英語ができると考えていました。
こんなエピソードがあります。
交通検問の際イラク人の乗る車を止めようと、アメリカ兵がストップと書いたプレートを出した。 しかし英語を読めないイラク人は素通りしてしまいます。 検問を突破するテロリストだと勘違いをしたアメリカ兵は、イラク人を銃で射殺してしまいました。
イラクの部族社会とは?
イラクの部族社会では
- いとこ同士の結婚が推奨(それは自分たちの財産が他に出ることを防ぐため)
- 親族のグループが形成され、その中の有力な長老がグループを収める。
- 部族の掟が何よりも優先
こんなエピソードがあります。
アメリカ主動の政権にて警察署長に任命された人に、あの武装集団を取り締まってと支持を出したが、自分の部族の長がトップという理由で断った
このことを派遣されたアメリカ人達は、全く理解していなかったのです。
そのことが原因で、さらなる悲劇が起こります。
イラク統治の大失敗、最大の要因
イラクはバース党員の一党政権でした。
バース党とは、アラブ復興党という意味の政党です。
イラクではバース党員でなければ、公職につけませんでした。
お医者さんとかも?
そうです。
役職の幹部も医者や看護師、教師や軍隊の幹部も、全てバース党員でした。
バース党員の追放。
そのことを知らない派遣されたアメリカ人達は、
「それは民主的ではない!」と、バース党員を追放します。
すると、イラクは大混乱を起こします。
なぜですか?
イラク社会のあらゆる組織のトップがいなくなってしまったからです。
病院も学校も役所も、一夜にして機能しなくなりました。
ふたつの民族、アラブ人とクルド人
イラクにはアラブ人とクルド人がいます。
宗教的にイスラム教には、スンナ派とシーア派に別れます。同じイスラム教でも違うんです。
イスラム教の予言者ムハンマドの後継を誰にするかで、この2つの派閥は別れました。
- 後継者を『血筋』で選ぶか『実力』で選ぶかで別れる
- 血筋=シーア派、実力=スンナ派
- 世界では、シーア派:スンナ派=1:9位の割合だそうです。
イラクでは、
- アラブ人のシーア派6割
- アラブ人のスンナ派が2割
- クルド人は全員スンナ派で2割
フセイン政権では、バース党が政権を握っていて、バース党は少数派のスンナ派で占められていました。
フセイン政権崩壊後アメリカの監視下の元で選挙が行われました。
当然イラク人での多数であるシーア派の国会議員が、大量に当選しました。
警察官もシーア派の人間。
今まで訓練を受けたことの無い人間が銃を持つようになりました。
シーア派によるスンナ派への復讐
今までスンナ派しいかいなかった議員や役所の人間が、シーア派にとって代わります。
さて、これが影響してとんでもないことが起こります。
どんなことがおきたでしょう?
スンナ派に自慢した。
惜しい
実は
今まで、スンナ派に抑圧されていたシーア派が権力を握ると、スンナ派への復讐が始まります。
スンナ派の人のところにシーア派の警察官が押し入り、翌日死体で発見される事があちこちで起こりました。
その現状に起こったスンナ派の人達は、元々能力があり訓練されていたし、更に武器も沢山持っていました。
スンナ派に過激な武装組織を作りシーア派と抗争を始めます。
こうしてまたイラクは内戦状態となりました。
子ブッシュ政権によるイラクの統制は失敗しました。
武装組織アルカイダの介入。過激派組織「イスラム国」の誕生
このスンナ派の武装組織に手を伸ばしたのがアルカイダです。
アルカイダの介入
アメリカと対抗するための組織を作ろうと企みます。
こうしてイラク国内にアルカイダ系の過激派組織が誕生します。
イラクのイスラム国と名乗ります。
↓
その後イラクとレバントのイスラム国
↓
にほんではイラクとシリアのイスラム国。
↓
やがてイスラム国(IS)となります。
イスラム国による日本人犠牲者
2004年10月に日本のジャーナリストでもなんでもない一人の若者が、その組織の犠牲になりした。
その組織とは、当時まだ小さかった「イスラム国」と名乗る過激派組織でした。
その頃イラクのサマーワに、自衛隊が派遣されていました。
自衛隊の撤退をさせないとこの青年の命を奪うと。
当時の首相の小泉純一郎は、テロに屈しないと宣言します。
そしてこの青年は首をはねられ殺されてしまいました。
イスラム国の勢力拡大の原因は 民主化運動?
このイラクのイスラム国の勢力が拡大するきっかけとなったのが、チュニジアから始まった、アラブの春と呼ばれる民主化運動でした。
イラクの隣のシリアでもアサド政権の下で抑圧されていた人たちが民主化運動を起こしました。
アサド大統領はイスラム教の中でも異端と言われているアラウィー派(シーア派の一派)です。
シリアでは、1割のアラウィー派が9割のスンナ派を押さえつけていました。更に一部のキリスト教徒もその1割に加わって、抑圧していた。
民主化運動が宗教対立へ
やがて民主化運動は、宗教対立の様相を呈するようになる。
アサド政権は武力で抑えつけようとしましたが、国民に銃を向けられないと、内部で離反するものが現れ、アサド政権と戦うようになります。自由シリア軍と呼ばれます。
シリアも内戦状態となります。シリアのとなりのイラク、その隣のイランはシーア派の国。アサド政権を支援。
ロシアの介入
更にロシアがアサド政権を支持します。シリアには不凍港があったから。
もう一つは、冷戦終結後、みんなアメリカ側につくなかシリアだけロシアと仲が良い。
ここに目をつけたのが、イランのイスラム国です。
彼らは何故か、アサド政権だけではなく、何故か自由シリア軍両方を攻撃しました。
狙いは、自由シリア軍が使っていた、アメリカからの武器でした。
アメリカの武器を奪ったイラクとシリアのイスラム国は勢力を拡大していきます。
彼らの野望は唯一、世界全体のイスラム化です。
まとめ
結局、ソ連とアメリカの身勝手で、中東は混乱し、イスラム国というテロ組織を生んだのです。
戦争はいけない事なんですけど。
宗教というモノがと他も関係してくるんです。
悲しいですよね。なんか…