政治や世界情勢

知っておきたいシリーズ。あの中東について第一弾。

今回は、中東について書いていこうと思います。

中東にはどんなイメージがありますか?

危険だという認識はあるけど…
イメージかぁ…天才の僕でも…くそッ

金持ち!

確かに中東には、お金持ちの国が多いです。

その為、学費を一切払わない国も中にはあるようです。

なるほど。
ではなぜお金持ちなのですか?

なぜ?金持ちに理由があるのか?…わからん…天才なのに…

えーっと……あっ石油…

わっ!

つ!!ビックリしたー

石油がたくさん取れる!

流石ですね。秀才キュン

へへへへ

中東といえば、"石油の国"というイメージは強いと思います。

日本も中東から、石油をたくさん輸入している国の一つです

では質問を変えます。
中東を詳しく説明してください。

ごちゃごちゃして複雑なんだよね~

確かに、「中東」を詳しく説明してくださいと言われても、拒否反応を起こす人が多いかもしれませんね
なので、私がんばって解説していきます。

なるべくわかりやすくお願いします。

中東とは、たくさんの国の集合体=中東、と呼んでいます。アジアという表現とかと一緒です。中東圏ということです。

中東では、たくさんの人種が入り混じって、そしていくつかの宗教も布教しています。

主にイスラム教です。

この記事では、中東をできるだけわかりやすく解説していこうと思います。

今回は第一弾として、アルカイダについて書いていきます。

9.11の悲劇がなぜ起こったのか?

についても解説していきたいと思います。

中東と呼ばれる理由

そもそもなぜ中東といわれるのか?わかりますか。
ヒントはイギリスの世界地図を見ればわかります。

緯度や経度はイギリスが基準

  • 世界地図の基準はイギリスです。イギリスが真ん中(経度0度➡グリニッジ天文台(ロンドン))
  • イギリスが真ん中だと、イギリスから見て東はどこか?=それはインドなのです
  • つまりイギリスからみたインドが東だから、そのイギリスとインドの中間の国々=中東。

あっだからインドよりさらに東に位置する日本は、イギリスの極東といわれるのか!

そうなんです。

中東の国の名前

中東:トルコ、シリア、イラク、イラン、アフガニスタン、レバノン、イスラエル、パレスチナ、サウジアラビア、UAE(アラブ首長国連邦の略、サウジに気を使っている常に二番手)、イエメン、クウェート、オマーン、ヨルダン、カタールの15か国です。

中東のキングは、サウジアラビアとされています。

なぜ中東のキングと呼ばれているか 、わかる人いますか?

…石油?はさっき出たし、なんだ?…うーん…やたら長男が多いとか…

イケメンが多い!

違います。
・石油がでたから(第二次世界大戦後)。
・そしてイスラム教の聖地メッカがあるから。

中東で一番最初に石油が出た国が、サウジアラビアなのです。

なぜ、アメリカ同時多発テロはおこったのか?

2001年9月11日に、世界を震撼させた大事件が起こりました。何か分かるかな?

私の爪が割れた。

違います。もっと大きな事件です

横綱白鵬に、初日に土がついた!

もっと大きな事件です

私の両親が離婚した。

あっそうなんですね…それはつらかったですね。

やったー!正解だ。

僕もわかってたよ。君に花を持たせたんだ。

離婚ではありません。

ですよねー。だと思った。

アメリカ同時多発テロが起きました。
あの国際貿易センタービルに、ハイジャックされた旅客機が突っ込んだ映像は、今でも忘れることができません。

まずは、ソ連VSアフガニスタンから

同時多発テロはなぜ起こったのでしょうか?

1979~1988年、WWⅡ(第二次世界大戦の事です)の勝利国であるソ連がアフガニスタン(ソ連の南の隣国)に侵攻するところから、話は始まります

ソ連はなぜアフガニスタンを侵攻したのでしょうか?

ソ連の狙い

ソ連には悲願と言っていい程の願望が、二つありました。

  • 不凍港(凍らない港)が欲しい。
  • 自国の周りに緩衝地(二番手の国)が欲しい。

特に不凍港は喉から手が出る程欲していました。

それは凍らない港があれば、冬でも海軍を出すことが出来るからです。

もう一つの願望である、緩衝地を求めるようになった理由はなんでしょうか?

この願望は、特に WWⅡ の終戦後に強くなりました。

それはWW において、ソ連の犠牲者が世界で一番多かったからです。

ソ連はWWⅡで勝利したのに、意外~

スターリンの恐怖政治や、国土の影響もあったようです。

ソ連の土地は領土が広すぎて、そして寒すぎたました。

だからもし同じような戦争が起こったら、この広すぎる土地を守り切る自信が、ソ連には無かったのです。

そこで、自国の周りを二番手の国で囲みたい。
直ぐには攻められない様にする
という思いを強く抱くようになったのです。

ソ連の真下に、アフガニスタンがあります

そしてソ連とアフガニスタンはあまり仲良くありませんでした。

理由は、

ソ連が”共産主義”だったから。

共産主義者であったマルクス「資本論」では、宗教は麻薬と一緒と書いてあります。
つまり共産主義VS宗教という対立が起きても不思議ではありません。

アフガニスタンは敬虔なイスラム教の国です。

共産主義の宗教否定VSイスラムのジハード(聖戦)という形になるのは必然でしょう。

豆知識
ジハードとはもともと、イスラムの教えや考え方をしっかり守る努力の事をいいます。
ジハードの例:具合悪いけど一日五回お祈りしないと、辛いけど起きて頑張っていこう=ジハード
ジハードという言葉に悪いイメージを感じるのは、イスラムの過激派組織がジハードという言葉を悪用したからなんですね。

つまり、ソ連は仲の良くないアフガニスタンを従わせることで、自国の防衛の壁にしようとしたわけです。

アメリカの狙い

この”ソ連VSアフガニスタンという状況”を利用しようと企む国がありました。
どの国だと思います。

それって、…国ですか?

国って言ってるじゃないですか?
話を聴いていなのですか?
ふざけているならビンタします。

…すみません。

正解は…

アメリカです。

当時ソ連とアメリカは冷戦状態でした。

そこで、アメリカは考えました。

"ソ連VSアフガニスタン"
これを利用して、もしこの戦いが長引けば、ソ連の国力が弱まるかもしれない。

そこでアメリカは、アフガニスタンに手を貸すことを決めます。

しかし地図を見てもらえばわかりますが、アフガニスタンという国は内陸の国でした。

アフガニスタンの周りには海がありません。

更に更に、アフガニスタンの周りには

  • イラン(アメリカと仲が悪い)
  • インド(アメリカと仲が悪い)

という国があって、手助けをしづらかったわけです。

そこでアメリカは考えました。

アメリカはパキスタンを利用する

アメリカは、アフガニスタンとインドに挟まれている、パキスタンという国に目を付けます。

ここで少し話がずれますが、パキスタンとインドはとても仲がよくありませんでした。
なぜだと思いますか?

うちの両親みたいに、仲が悪いのですか?

人畜君の両親の方が、仲はいいんじゃないですか?

えっ?離婚しているのに!?

先に進みます。

インドとパキスタンは、隣国であるカシミールの派遣をめぐって70年以上も争い続けています。

悲しいですね。

間に挟まれているカシミールの人たちは、何を思っているのでしょうか。

カシミールって、両親に挟まれた、僕みたいですね。

相槌を打ちずらいコメント!!!!

話がそれましたが、

そんなパキスタンを利用しようと、アメリカはある計画を考えました。

その計画とはアメリカからの物資を、パキスタンを経由して、アフガニスタンに流し込むという計画でした。

ちなみにアメリカからアフガニスタンに、流した武器とは? 地対空ミサイル=手打ち手持ち用の対飛行機用ミサイルでスティンガー(名) 性能:温度を完治して追尾する。

当時ソ連は、アフガニスタンとの戦争はすぐに決着がつくと踏んでいたました。

しかし実際は、アメリカの介入によって戦争は泥沼化します。

この泥沼化が影響して、ソ連の力は衰えていき、やがてソ連崩壊へとつながりました➡ロシアへ。

アメリカの目論見通り、ソ連はアフガニスタンから離れてき、力も衰えていったわけです。

しかし、これで”めでたし”とはならなかったのです。

なぜだと思いますか?

また、争いですか?

はい…
今度はアフガニスタン国内で内戦が起きました。

もともとアフガニスタンには、いろんな民族が暮らしていました。

ソ連との戦いで戦場となった国内は、その戦争の影響で荒れに荒れていました。

その混乱した国内にて、民族内で主権争いが激しさを増しまたのです。

アフガニスタン民族内戦が起きます(1989年)。

しかしアメリカは、この内戦に関与することはありませんでした。

アフガニスタンへ侵攻するパキスタン

この内戦に乗じて、今度は違う国がよからぬことを考えます。

その良からぬことを考えた国は、パキスタンです

この内戦に乗じて、パキスタンがアフガニスタン国内に侵入していきました。

理由は わかりますか?
ヒント:さっき言いました。

パキスタンよりイケメンが多かった!

違います。

長男が多い!

バーカバーカ!!

正解は

  • 元々パキスタンはインドと仲が悪い。
  • インドとアフガニスタンが手を組んだら、インドとアフガニスタンに挟まれているパキスタンは挟み撃ちになってしまう
  • 逆に、アフガニスタンを支配下に置いたら、インドと張り合えるのでは?

と考えたからです。

パキスタンには、アフガニスタンを攻め込めんで、アフガニスタンを支配下における自身がありました。

なぜ自身があったのでしょうか?

それを語るには、まずソ連がアフガニスタンに侵攻した戦争の時に遡ります。

当時パキスタンは、アメリカからアフガニスタンに運び込まれる武器や資金の仲介をしていました。

その際パキスタンは、アメリカの物資をくすねていたのです。
もちろんあのスティンガー(手打ち手持ち用の対飛行機用ミサイル)も。

パキスタンは、このアメリカの武器を使ってアフガニスタンの内戦に介入して、自分たちの言うこと聞く組織を作ろうとしました。

タリバンの誕生

このアフガニスタンの内戦時には、戦場から逃れてきた難民がたくさん生まれました。

その難民たちは、パキスタンに逃げ込んできました。

そのためパキスタンには、難民キャンプがたくさんありました。

パキスタンの難民キャンプでは、難民の子供たちを教育する神学校を作って、イスラムの過激派を育てるトレンドありました。

この進学校で育てられた、”過激派”と呼ばれる難民の若者たちを、なんというでしょうか?

ターザン

おしい!

バーさん

離れた。ヒントはタ〇〇ンです

タモさん

正解はタリバンです

パキスタンで過激派として育てられた若者たち(イスラム過激派の学生たちが集まった組織)=タリバンが誕生しました。

タリバンとはもともと「学生たち」という意味。

パキスタンは、アメリカの兵器を使わせてタリバン達を戦わせました。

そしてあっと言う間に、アフガニスタンを制圧してしまいます。

その後、アフガニスタンにタリバン政権が誕生します。

タリバン政権は極端な思想だったため、かなりめちゃくちゃ政権でした。この政権は2001年12月にアメリカの攻撃を受けて消滅するまで続きます。

ビンラディンはアメリカの兵器で戦っていた

実はソ連のアフガニスタン侵攻時に、アフガニスタン側の戦士として戦っていた兵士の中に、ある人物がいました。

だれでしょう?

タモ…

正解はビンラディンです(サウジアラビアの御曹司)

なぜそんなとこに彼はいたのでしょうか?

実はビンラディンは、ソ連に攻められていたアフガニスタンを、助けに来ていたのです。

その理由は、同じイスラム教の信者だから。

最初ビンラディンは、アメリカの武器を持ってソ連と戦っていたんだね。

アメリカとソ連の冷戦終結を期に…

引用:冷戦の集結より

ソ連とアメリカの冷戦終結1989年

それを期にイラクのサダムフセインが動きだします。

イラクはクウェートの石油に目を付け侵攻します。これが湾岸戦争です。(1990年)。

これに抗議したのがアメリカ。

アメリカは、クウェートに手を貸したいと考えました。

しかしアメリカはうかつに、クウェートに手を貸すことはできませんでした。

なぜだと思いますか??

今度こそイケメンが多かったからでしょ!
そうなんでしょ?
うんって言え!

違います。

長男が多い!!!
ちなみに私も長男です!

アホ!

正解は

過去に"十字軍"という黒歴史があったからです。

十字軍とは
イスラム教とキリスト教は水と油。十字軍とは…11世紀末から13世紀にかけて、聖地エルサレムをキリスト教徒がイスラム教徒から奪うためにおこなった、遠征の時の軍を指します。
大量虐殺などの悲劇を生んだ。イスラム教徒からしたら、憎むべき存在=十字軍

ブッシュ(父の方)大統領の考え

そこで当時のアメリカ大統領のジョージブッショ(父)は考えました。

アメリカ軍単体ではなくて、アメリカ率いる多国籍軍としてクウェートに手を貸して、イラクを攻撃しようと考えました。

こうして国連軍の活躍により、イラクのクウェート侵攻を食い止めることができました。

湾岸戦争の裏で

湾岸戦争時では、とても不安を抱いた国があります。
どこだと思いますか?

ひっかけ問題ですか?

答えは、サウジアラビアです。

サウジアラビアは、イラクとクウェートの間に挟まれていたので、とても不安だったのです。

そこでサウジアラビアは、アメリカに助けを求めました。

アメリカもそれに応えました。

しかしそのことを、よく思わない人物がいました。

それがオサマ・ビンラディンです

ザ・ぼんちの 里見まさと の相方のギャグですね。

それは、おさむちゃんです!

ビンラディンは、キリスト教徒であるアメリカに協力を願う自国の方針に猛反発。

しかし国の方針に反発した罪で、ビンラディンはサウジアラビアを追放されてしまいます。

その後ビンラディンは、一度アフリカに逃げようとします。
しかしアメリカの圧力で逃げられず、結局ビンラディンはアフガニスタンに再び戻ことになります。

アルカイダというテロ組織の誕生

アフガニスタンではすでに、タリバン政権ができていました。
また、当時ソ連相手に戦った仲間もいました。
ビンラディンは、タリバンに客人としてもてはやされました。

そしてこのアフガニスタンの地で、あのテロ組織が誕生したのです。

アルカイダですね

打倒アメリカに燃えるビンラディンは、このアフガニスタンの地で、国際テロ組織アルカイダを作ります。

アルカイダという名は、もともとソ連と戦争時に、多国籍の兵士があつまっていた基地をアルカイダと呼んでいた。

皮肉なことに、アメリカと共に戦ったその基地が、今度はアメリカを攻めることになります。

2001年アメリカ同時多発テロ。アルカイダがタリバンを利用する。

引用:Pars Today 米同時多発テロの犠牲者の遺族が、サウジアラビアへの損害賠償請求を決意

アルカイダは、アメリカのパイロット養成所にタリバンを送り込みました。

理由は、テロ行為を実行するためです。

タリバンの若者達の目的は、一つでだけでした。

アメリカの飛行機で貿易センタービルやペンタゴンに突っ込むこと。

つまり自分の命を捨てる為に、アメリカの飛行機運転の技術を習いに、アメリカの学校に行きます。

つまりアメリカのパイロット学校の教員が、テロ行為を目論むタリバンに、飛行機の操縦を教えていた事になります。

当時のアメリカの飛行機訓練所の教員はこんな証言を残しています

そういえば彼ら(タリバン)は、離陸の勉強は熱心だったけど、着陸の勉強はあまりしていなかった。

つまりタリバンたちは、飛んだらあとは突っ込むだけ、最初から着陸の事を全く考えていなかったのです。

そして9月11日、テロが起きます。

その時のアメリカ大統領がジョージ・W・ブッシュ(子)

父のジョージ・W・H・ブッシュ大統領と違って、あまり賢くない息子だったようです。

ブッシュ(子)は、あまり世界情勢を知らずに大統領になりました。

アフガニスタンがどこかもわからなかったのでは、と言われています。

僕と一緒であまり賢くないね。

自覚があるのですね…

そしてあろうことか、彼はとんでもない事を口走ってしまいます。
何でしょう?

関白宣言!

さだまさし!

正解は

「これからは、十字軍の戦いだ!」

周りは焦ったはずです。
全イスラム世界を敵にしかねない発言です。

子ブッシュ政権の幹部たちから指摘されて、訂正したが”時すでに遅し”でした。

お父さんは、キリスト対イスラムにならないように細心の注意を払っていたのに息子は何も考えていませんでした。

その後、イギリスと一緒にアフガニスタンを攻め入り、アルカイダのリーダーであるオサマビンラディンが首謀者と判明します。

アメリカはアフガニスタンに、ビンラディンを引き渡すよう要求しますが、アフガニスタンは拒否します。

テロの起きた同じ年の12月7日にタリバン政権は崩壊しました。
しかし、ビンラディンは逃げおおせてしまいます。
その後ビンラディンとアルカイダは行方不明。

結局、お…お…オサマビンラディンはどうなったのですか?

ビンラディンは、2011年にオバマ政権時に発見され処刑されました。

一方タリバン達は、その殆どがパキスタンからやって来た若者だったわけですから、パキスタンに逃げ込みます。

こうなるとアメリカは、パキスタン内で勝手な攻撃はできません。

結果として、タリバンの勢力はパキスタンに温存される形となりました。

結局テロ組織は、散り散りになっただけなんだね~

タリバン政権後のアフガニスタン

一方アフガニスタンでは、アメリカ軍とNATO軍がアフガニスタンに派遣され治安維持にあたりました。

タリバン政権を倒したブッシュ(子)政権の次の標的はイラクのフセインに向けられます。

ブッシュ(父)大統領のアメリカの時は湾岸戦争後、あえてフセイン政権を残していました。

それは

当時のイラク国内では3つの勢力が均衡する形で成立していました。
そのバランスが保たれていたのは、フセイン政権によって押さえつけられていたからです。

それを知っていたパパブッシュは、あえてフセイン政権を残しました。

パパブッシュは本当によく考えていたんだね~

また湾岸戦争後のイラクは、核兵器の開発に取り組んでいたことがわかます。
そのため国連によって核兵器を禁止され、更に査察が定期的に入るようになります。

しかしあるときを堺に、フセイン政権は国連の査察を拒否するようになっていきます。

そしてあろうことか、フセインはいちどパパブッシュの暗殺試みたことがありました。これは未遂で終ります。

しかし、そんなパパの苦労を知らない子ブッシュは、イラクに大量破壊兵器を作っている疑いがあると言う嘘の証言をでっち上げ、(物議を醸しだした)イラクの攻撃を決定してしまいます。

2003年イラク攻撃(イラク戦争)、そして2006年フセインを死刑。

まとめ

この流れを見ると、所々でアメリカが顔を出しています。

そして戦争が終わるたびに、歪が生まれていますね。

その点と点が結び付いて、あの9.11同時多発テロに繋がっているのがわかると思います。

日本人ではどっちかというと、否定的な「宗教」。

この宗教が原因の戦争は、少なくありません。

本来の宗教の目的は、心の安静が目的のはずなんですけどね。

戦争はイカン!!!

日本も決して戦争してはいけないのだ!

第二弾お楽しみにね。

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